【経験】大学生の私は「頑張ること」をやめた

はじめまして、 ここの です。

 

今回は、お題にあったお題「思い切ってやめてみた事」について書いていこうと思います。アドバイスなどどいうことは私にはできないので、経験をただ書いているだけの文章であるということをご理解ください。

 

早速ですが…

 

私は「頑張ることをやめました。

 

この言葉だけ見ると、人生経験の浅い大学生が何を言っているんだと思われるかもしれせん。しかし、これは私を変えてくれた大きなきっかけです。ただ、一つだけ言及しておきたいことがあります。それは、「頑張ること」を否定しているわけでも、「頑張らないこと」を推奨しているわけでもないということです。その点だけ頭の片隅に置いておいていただけると嬉しいです。

 

 

  • 私の中の「頑張ること」の存在

高校生までの私の中で「頑張ること」というのは、自分に価値をつけるための行為であると思っていました。頑張れば頑張るだけすごいと思われると思っていたことによる、一種の承認欲求を満たす行動だったと振り返ってみて強く感じます。

 

この記事にアクセスしてくださった中学生や高校生の方の中にも、いわゆる「頑張り屋さん」がいるかもしれません。なんのための頑張りか人それぞれ理由はあるとは思いますが、私のような理由の方には少し目を通していただけたら嬉しいです。

 

  • 「頑張ること」にとらわれた私の中学校・高校での失敗

私は中学校在学時、「頑張ること」こそがいいことだと思い、勉強に限らず部活動や生徒会活動に取り組んでいました。高校在学時には、部活動のほかに同好会や複数の学校外への活動にも参加し、「頑張ること」にとらわれた日々を送っていたことが最近のことにも関わらず懐かしく思えてしまいます。

 

しかし、このような生活の中で私は何度か大きく体調を崩しました。原因は明らかで、承認欲求を満たすために「頑張ること」にとらわれていた自分の存在でした。これは、自分の中の欲望は時に自分自身の首を絞めることになるのだと強く実感した、私を大きく変えるきっかけとなる経験です

 

人生経験の浅い私が気が付いたことは、「自分を痛めつける・苦しめる頑張りをする必要はほとんどない」ということです。絶対にないと言い切ることは、学生の私には到底できません。人それぞれが置かれている環境によって、避けようがなく「頑張ること」を必要とされる場面も多々あることも理解しているつもりではあります。ただ、私は、承認欲求のための「頑張ること」をやめることで自分で自分自身の首を絞めていくことがかなり減ったと感じています。

 

  • 「頑張ること」をやめてからの私

「頑張ること」をやめてから気が付いたことがあります。それは、「頑張ること」だけで私という人間の価値は決まらないし、そもそも人に価値をつけるという考え方自体が必要のないことであったということです。私がいかに自分自身に価値がないという思考に支配されていたかわかりました。頑張れば頑張るだけ褒めてもらえる、自分自身の価値が上がるという思考から解き放たれたことで、頑張ろうと思わずとも自分から少しでも行動に移せることはあるんだということがわかりました。

 

「頑張ること」は時に必要ではあるかもしれませんが、「頑張りすぎない」生活することで、これをしなければと思うことが減りました。心の余裕がうまれ格段に過ごしやすい毎日を送ることができているので、私は「頑張ること」をやめようと思えてよかったと強く思っています。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。

これらはあくまで私の経験ですので、こういう人もいるんだといった程度に認識していただけると嬉しいです。